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フジミツの歴史

フジミツは、1887年(明治20年)、創業者である藤田久蔵が、旅館業の傍らに蒲鉾(かまぼこ)業を創業したところから始まりました。 仙崎にはかつて20社を超える蒲鉾屋があり、お互いが学び競い合う中で、日本でも有数の蒲鉾の名産地となった土地です。 元々は隣町の萩より伝わったとされている蒲鉾製造の技術と知恵を使い、仙崎の新鮮で豊富な原料を使った「仙崎蒲鉾」は、世に認められ、全国に広く知れわたるようになりました。 フジミツは、代々受け継いできた蒲鉾作りに対する想いや技術をもとに、130年以上にわたり、お客様の笑顔と食の楽しさを創造していくために邁進しております。

はじまりは明治20年 山口県長門市・仙崎美しい日本海に面した小さな漁師町からフジミツの歴史が始まる

山口県長門市の小さな漁師町・仙崎。 ここで、旅館「藤久」を営んでいた初代藤田久蔵は、魚をすりつぶした魚団子を吸い物として提供していたことをきっかけに、1887年(明治20年)から蒲鉾製造業をはじめました。 仙崎蒲鉾は、毛利公に献上されていたものが起源とも言われる珍味。海の幸豊かな土地で美味しい魚肉製品をつくりたい、という想いがありました。 そして1902年、初代久蔵の甥にあたる二代目光蔵が、蒲鉾屋と旅館の二つの顔を持つようになった藤久から独立する形で、本格的に蒲鉾づくりを行う「藤光商店」を設立したのです。

その後訪れた第二次世界大戦中は、経済統制令によって企業合同化が義務付けられ、仙崎では22の蒲鉾屋が集まり、「仙崎蒲鉾有限会社」として共同で蒲鉾製品を生産していました。 三代目久作は、仙崎蒲鉾有限会社の専務として22の蒲鉾屋と従業員を統括しつつ、物資も人材も不足する厳しい時代の終わりを待っていました。

終戦を迎えて仙崎蒲鉾有限会社が解散したことをきっかけに、久作は1948年、新たに企業組合藤光本店を設立しました。 機械技術が発展し、底引き網で原料の魚も豊富に捕れるようになったため、蒲鉾は大量生産の時代へと移り変わっていきます。 後に四代目を継ぐ光久は、仙崎に20社以上ある蒲鉾屋の中での差別化を図り、長く日持ちするケーシング蒲鉾に注目します。長門市白潟(長門市仙崎)にケーシング蒲鉾の専用工場を建設した上で大阪での販路獲得を目指し、粘り強い努力でそれを実現しました。 その後は1968年のダイエー小倉店オープンを皮切に、大手量販店との取引が本格的に始まり、藤光はこうして徐々に全国各地へとその名を広めていったのです。

東京オリンピック開催の日 藤光蒲鉾株式会社を設立。保存のきく蒲鉾から高品質で美味しい蒲鉾へ

1964年10月10日、東京で日本初のオリンピックが開催されたこの日、ケーシング蒲鉾等の専用工場だった白潟工場を「藤光蒲鉾株式会社」として設立。 大量生産、大量消費の時代にあわせて、白潟から長門市東深川に工場を移転したのが現在の本社工場です。

1970年に4代目を継いだ光久は、それまで力を入れてきた日持ちのするケーシング蒲鉾から、あくまでも生鮮食品として高品質で美味しい蒲鉾を提供する会社であることをめざしました。そのため、ケーシング蒲鉾の製造を断念し、また同時に他の多くの食品メーカーが使用していた、安全性が問題視されていた保存料の使用を全面的に禁止しました。 その結果、藤光の蒲鉾はつくりたての状態に近い商品を提供することができるようになり、その後の藤光の成長につながりました。

1980年には営業規模の拡大のために長門市三隅(旧大津郡三隅町)に新工場(三隅工場)を建設。工業型の大量生産ができるようになったことに伴い、社名を「藤光蒲鉾工業株式会社」と改めました。 同年、創業100周年を記念して開催された式典では、これまで苦労を労うだけでなく、さらなる成功と発展に向けて、関係業者や従業員全員が参加する盛大な式典となりました。

4代目から5代目へ 改革とM&Aによる多角化経営。異業種との交流も深め、今どうあるべきかを決断していく

「とにかく何かで藤光を日本一にする!」 後に5代目を継ぐ雅史は、全国の蒲鉾業界で当時20位前後であった藤光を上位10位以内に入ることを目標として掲げ、本社工場と三隅工場の統括工場長として様々な改革を実施していきました。 オートメーション化の導入や、板かまぼこ以外でのシェアの拡大、土産物ブランドとしての藤光海風堂の立ち上げ、直営の営業所の全国展開などで順調に売り上げを伸ばす中、次に力を入れたのが新商品の開発です。

蒲鉾離れが著しかった当時、家庭でもっと手軽に食べられる美味しい蒲鉾として、お菓子感覚で食べられる蒲鉾の開発が始まり、1998年に人気商品「チーズころん」が誕生しました。 地元の有名旅館でおいてもらうことから始め、2001年に開催された山口きらら博で売り上げナンバーワンを達成する人気商品となり、現在でも藤光海風堂の主力商品として全国で売り上げをのばしています。

その後も藤光は、ますます減少するだろう蒲鉾の需要をにらみ、山九水産株式会社や株式会社魚嘉へのM&Aやほかの会社との共同出資による新規事業の参入を積極的に進めていきます。 その一つが、県内異業種5社が共同出資した「きららオーガニックライフ株式会社」の設立です。現在は、即食できる冷やし中華・うどんなどの調理麺の開発・製造を行っており、山口県内をはじめ、九州、中四国エリアでの販売を行い、新たなマーケットの開拓を行っています。また、グループ会社である「株式会社博多魚嘉」を設立し、博多ブランド練り製品販売の営業拠点として活動しています。

グローカルチャーな企業を目指して 総合食文化創造企業として理念を一新し、フジミツ株式会社としてのスタートをきる。

2007年、藤光は3年をかけて社名と理念を一新。 水産練り製品のみではない総合食文化創造企業としての発展に向け、「フジミツ株式会社」として社名を変更しました。 地域(ローカル)の伝統を守り、食文化(カルチャー)を世界(グローバル)へ広げる、「グローカルチャー」な企業となって大きく活躍していくことを目指すこととなりました。

その一歩として翌年、製造・小売り分野では日本初となる、「食品安全マネジメントシステム」の国際規格である「ISO22000」を取得しました。 これにより、国内外の企業や消費者に対して、「安心安全な商品」をより確実に提供できるシステムの構築を目指した、海外への取引拡大に向けての大きな一歩を踏み出すこととなります。

伝統を守り、文化を伝え、お客様の笑顔のために美味しい製品を作り続けること。 フジミツがこれまでに歩んできた長い道のりには常に、関わるものすべてへの「感謝」の想いがありました。

感謝から夢へー・・・
想いを実現するべく明るい未来に向かって、フジミツはこれからも総合食文化創造企業としての取り組みを進めていきます。

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